江戸を守る要衝として重視された川越は、さまざまな江戸文化の面影を残し、いまも「小江戸」と呼ばれている。江戸とは食べ物でも結びつきが強く、「さつまいも」もその一つだ。
関東で「さつまいも」がつくられるようになったのは200年以上も前のこと。寛政年間(1789〜1801)に江戸に焼芋屋が現れ、原料の産地が川越だった。また、天明の大飢饉では、「新河岸川舟運」で運ばれたさつまいもが、江戸の人たちを救ったといわれている。
「さつまいも」を利用した芋菓子が「芋せんべい」で、明治に入ってから考案された。老舗の和菓子屋が、それまでふかす か焼くか、時には甘く煮て食べるしかなかった食べ方に一工夫を凝らしたのが起こりとされる。「さつまいも」を薄切りにし、鉄板の上に並べて火でゆっくりと焼き上げてから黒ゴマをつけるという素朴なものだつた。その後、砂糖蜜を塗って仕上げるようになり、川越名産として和られるようになっていった。
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実は、小島米菓の前身は芋せんべい屋だった。小島藤男社長(79歳)が戦地から復員後、昭和23年(1948)に一人で
始めた。
「現在のように砂糖をつけずに売っていました。なにせ終戦後で食べ物が無い時代でしたからよく売れました。数年間働いただけで、人にお金を貸せるようになるほど儲かりましたね」
コメのせんべいを扱うようになったのは昭和27年(1952)。「一人では大変ではないのか」という知人の勧めで、農家の出身のスイさん(74歳)と結婚、夫婦二人で米せんべいの製造事業をスタートした。これが芋せんべい同様、飛ぶように売れた。
戦前からの歴史があるという川越の米せんべい。 最盛期には市内に50軒以上のせんべい屋があった。それが現在は20軒程度になってしまっている。
小島米菓と生活クラブの出会いは昭和47年(1972)。今も、そして当時も味付けに化学調味料を使うことは当然だった。が、「それを使わずにせんべいをつくってみると何の問題もない。自分で食べてみて『これでいいんだ』と納得しました」(小島社長)
原料に輸入米を使うメーカーが多い中、国産米を使うことにこだわり続けている。
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