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(株)秋川牧園は山口県山口市にある。中国山脈に囲まれた田園地帯で育つ若鶏は「無投薬」。
しかも、その肉は「歯ごたえがあり、風味も優れている」と甲斐利光さんは胸を張る。

  報じられない台風被害、ヒナ数千羽を一夜で失う

 「今度は来んね」
  「ウン。来んと思う」
  「もう、勘弁してくれという感じだね」
  若鶏の生産農家を訪ねる車中でこんなやりとりをするのは、鰹H川牧 園(以下、秋川)の甲斐利光営業部長と高松博司営業課長。取材に訪れた日も、やはり台風が接近していた。
  そして、二人が異口同音に発した言葉が「開放鶏舎の強み」だった。
  「今年の台風では、窓のないウインドレス鶏舎の被害がひどかったようです。電気が止まってしまい空調が利かなくなってしまったからです。
電気が命綱ともいえるウインドレス送電が止まればアウトです。
  うちのような開放鶏舎なら、少なくとも空調の心配をすることはありませんが……」(甲斐さん)
  台風の上陸回数が過去最高を記録した今年は、農作物にも甚大な被害が出た。コメの潮害をはじめ、出荷時期を控えた野菜が冠水などで大量廃棄された。
  ほとんど報じられることはなかったが、台風の進路を固唾をのんで見守つていた養鶏業界も痛手を受ける。開放鶏舎の秋川も、被害を避けることができなかった。
  「9月上旬の台風19号は風がとにかくひどく、2カ所の農場の屋根が飛んでしまい、生まれたばかりのヒナ数千羽が死んでしまいました。鶏のヒナは生後20日位までは温度などの微妙な変化に弱く、大切に育てなければなりません。しかし、屋根が飛ばされて、それがままならなかったのです」
  冒頭で記したように、取材の当日も台風が接近していたが、幸いにも山口県を外れたため被害はなかった。
  それでも「人知れず、激しい風雨に耐える鶏のストレス。人知れず、その鶏の無事をひたすら願う農家の心労は計り知れません」という甲斐さんのひとことは、常に生産現場を思いやる秋川の人々に共通した思いに違いない。

    搾乳に始まり
  宅配もこなした日々

 その甲斐さんが秋川に入社したのは23年前。大学の農学部に進学後、有機農業に興味を持ち、いずれは北海道で農業指導をするという大志を抱いての就職だった。
  「父親はサラリーマンでしたが、母親の実家はみかん農家で、親類の多くが農家でした。だから子ども時代を過ごした宮崎県では田んぼに入り、畔づくりまでやった。その頃から、将来は百姓をやりたいと考え続けてきましたね」
  しかし、実際の社会人生活は牛の世話と搾乳からのスタートだった。5年間は住み込みで鶏卵や牛乳の宅配もこなしてきた。生協という組織形態こそ採らないものの、秋川は30年以上も前から、山口市を中心に農畜産物の宅配事業を展開していたからである。
  その名称は「山口生活クラブ」。生活クラブ生協とは何のつながりもなかったが、後に生活クラブと提携するきっかけになったのは、山口へ転勤して来た生活クラブの元組合員だつたというから、奇遇としかいいようがない。
  甲斐さんはその後、鶏肉の加工部門などを経て30代で営業部門の第一期生となり、生活クラブと出会う。
  「当初は社長が窓口担当、90年代に入ってから私に替わりました。生活クラブの印象は都会っぼいということともう一つ、生産者のことを思っている生協ということでしたね。生活クラブとの付き合いで 『生産原価保証方式』という言葉を初めて耳にしましたし、担当者からは製品や納入価格だけではなく、生産工程や生産者の姿勢などについて、とにかくいろいろと聞かれましたね。ここは″カネとモノとのやりとり〃だけではないぞという印象を強く持ちました」

  「食」の本質を徹底追求、それを支える理念とは

秋川が本格的に若鶏肉の市販を開 始したのは1988年からだった。 もともと秋川は、採卵養鶏の餌に含まれる残留農薬に警告を発してきた秋川実社長が創設した組織。現在は卵、若鶏をはじめ牛、豚の食肉、有機農産物などの生産に各専門農家によるネットワークを形成し、その中心的役割を担っている。
  抗生物質を使わない「無投薬飼育」に早くから取り組み、80年代末からは遺伝子組み換え作物にも問題提起を続けてきた。
  ネットワークに参加登録する生産農家には、抗生物質を投与しないで管理する「無投薬飼育」のマニュアルを秋川が徹底。開放鶏舎での飼育羽数も、1坪当たり50羽の一般的な水準を30羽程度にまで軽減し、緩やかな生育環境の確保に努めている。
  甲斐さんは、「飼の分析は厳重に行い、もちろん遺伝子組み換え飼料は使っていません」とした上で、そこまで対策を徹底できた理由をこう説明する。
  「『無投薬飼育』は健康管理が面倒なので、コストを最優先する大量生産の養鶏には向きません。生産者と販売者が一体となり、いいものをつくるという意志が貫徹されてなければ成り立たないのです。秋川は両者が同じ組織で働き、出資もする生産共同体。そもそも経営に対する発想が、市場出荷の生産者や流通組織とは違うと考えています」
  秋川は実にユニークな「共同会社」で、パートタイマーを含む全役職員と登録生産農家のすべてが出資者となり、経営にも参加している。生産から販売まで、どの段階からも″他人事〃 の意識を取り除こうとの試みだ。
  当然、営業の仕事も、製品を単に仲介するだけという意識ではすまない。
  「入社してからの5年間、毎日15時間休みなしで牛の世話をしても乳量は増えないし、種付けもうまくいかずに消耗しっぱなしでした。そんな私を叱咤激励してくれたのは、生産現場の人たち。
  ですから、常に生産者の現状を念頭に置いて仕事と取り組んでいます。それに秋川は自らが生産者であり、同じ志を持った各専門農家のネットワークの中心でもあります。生産現場が何より大切なのは当然でしょう」
  鶏卵や牛乳を配送する傍ら牛の肥育を担い、鶏の解体を古参の女性職員に叩き込まれた人間ならではのせりふである。

ルーツは中国の大連に

 山口市の北部に位置する仁保に本社を構える(株)秋川牧 園。「そのルーツは中国の大連で現社長の父親が開設した農園にあります」(甲斐利光営業部長)
1932年(昭和7年)、秋川実社長の父親が中国の大連郊外に250haの秋川農園を開いた。モットーは「口に入れる物に間違いがあってはならない」で、りんごの栽培や地ビールの醸造、養鶏、有機栽培などを行っていたという。秋川社長が日本に引き揚げたのは終戦前の44年。この頃から養鶏を手がけ、48年に養鶏(採卵鶏)農業組合を設立、品種改良やふ化事業に取り組んできた。
  ところが62年、米国から生産効率の高いハイブリツド(一代雑種)鶏が大量に輸入され、国内の養鶏業者は大打撃を受け、組合も廃業に追い込まれた。その負債を整理しながら再建を目指した秋川社長が確信したことが「健康・安全・おいしさ」にこだわった農業を追求していくことだった。

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 72年に開設した養鶏部門を、79年に「健康な食べものづくりのネットワークセンター」として法人化し、秋川食品(株)を設立した。ネットワークとは本来、同じ理想を抱き、価値を創造する意欲と自立性をもって自発的に働いていく者たちのつながり。その理念のもと、秋川食品がそのセンター的役割を果たしてきた。後にこれを(株)秋川牧園と改め、現在、そのネットワークには鶏卵をはじめ牛乳、若鶏に豚などの食肉や有機農産物を生産する専門景家が参加している。
  このため、生産者と役職員が出資する経営を基本としており、パート職員もその例外ではない。  (株)秋川牧園と生活クラブは「鶏肉」(一部単協)や「とりがらスープ」、クリスマス用の「若鶏ローストチキン」などの供給を通しての提携関係にある。今年はさらに、手作りに挑戦してみようということで、「丸鶏中抜き」などにも取り組んでいる。

文/本誌・内野裕 撮影/尾崎三朗