いまや−般化した言葉でもある「産直」。しかし、その道程は必ずしも順風ではなかった。 |
きっかけはみかんの引き売り
奈良県中央部の西端にある西吉野村及び吉野川流域は、柿や梅、桃の栽培が盛んな中山間地域だが、王隠堂農園の代表・王隠堂誠海さんが、農家を継いだ1972年頃は、温州
みかんの栽培も盛んだった。
「私の家もつくつていました。この地域のものは和歌山県のみかんが1月に終わってから、2月頃に食べる晩生のみかんでした」(王隠堂さん)
ところが当時、みかんは全国で生産過剰のため価格が暴落。さらに和歌山県の農協が冷蔵施設を建設し、大量に保管して2月まで出荷するようになったことで、この地域のみかんは売れなくなってしまった。
そこで王隠堂さんは、みかんをトラックに積み、大阪の団地に引き売りに行く。そこでたまたま、泉北生協(当時)の職員に出会い、「それなら産直しましょう」と声を掛けられた。これが、産直開始のきっかけに
なった。
その後、みかんは国の減反政策もあってやめてしまったものの、泉北生協からの紹介で77年に生活クラブとの取引が始まる。
品目は玉隠堂さんの家でつくられていた梅ぼしだったが、生産量が少なく半年程で出荷が終わってしまうという状態が3年程続いた。
この状況を打開するため、生活クラブからの強い勧めもあって、村で仲間を募り5人種のグループになった。これで周年で出荷できるようになったが、相変わらずそれぞれの家で漬けたものを出荷していたため今度は品質にバラツキが発生した。王隠堂さんは当時を振り返って、
「梅も塩も変わらないのに、異物が混入していたり、家ごとに味が異なったりして、生活クラブから散々怒られたことを覚えています」と言って苦笑する。
その対策として、81年に作業場を建て共同加工体制を整えた。が、作業場は山間地。2t車がやっと入れるほどの狭い道しかなく、常に危険と隣り合わせで、出荷に支障が発生する。そこで、86年に麓にある五條市の現在地に農作物の集出荷機能と、梅ぼしなどの加工設備を持ったセンターを建設することになった。
また当時、村では、国の総合農地開発事業によって、新しい農地への入植が開始されたことから、王隠堂農園グループは「農家は農作物の生産に集中しよう」と、加工などを行う専従者の採用も開始した。
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嫌がらせに抗した10年 紆余曲折はあったものの、ここまでは順調に進んできたように見える王隠堂農園だが、実は西吉野村で生産者仲間を増やし始めた頃から、その産直活動に対して、農協と役場が一緒になって嫌がらせを始めた経緯がある。
原因は王隠堂さんらの取り組みが、国の政策として農協が進めていた農作物の共販体制に反していたこと。また、梅の加工などを村の有力者の身内が行っていたことなどにあった。
最初からの仲間である岡本好司さんは、当時の苦況をこう語る。
「私たちには農協の施設を使わせてくれませんし、役場からの広報も回ってきません。生活クラブへの出荷も奈良県中の運送屋に断られまし
た。ダンボール箱も県内ではまったく売ってくれませんでした」
これに対して王隠堂さんらは、「役場が村八分にするのなら、自分たちの村をつくる。土地台帳から私たちの土地を外してください」と要求する事態にまで発展した。嫌がらせは、王隠堂さんらの要求に慌てた農林水産省近畿農政局や奈良県などが間に入って和解する、89年まで続いた。
実はこうした嫌がらせは、多かれ少なかれ同じ地域で活動している他の産直グループにも及んでいたという。そこで前述した五條市でのセンター建設の際に、王隠堂さんらが「一緒にやりませんか」と声を掛け、センターを共同で利用するようになったのである。 |
他の産直グループとともに
これが礎になって、96年に王隠堂農園、美吉野農園、大紀コープファームなど、いくつかの産直グループの共同出資によって潟pンドラファームが設立された。
事業内容は、各産直グループから委託された農作物の集出荷、加工、販売、代金決済などを行う会社であり、本人たちは「地域共同センター潟oンドラフアーム」と呼んでいる。
現在、王隠堂農園の梅ぼしもここに委託加工されている。 続いて98年には、生産農家の横断組織として吉野川エコネット協議会が設立された。王隠堂代表は同協議会設立の意義をこのように説明する。
「個々の産直グループがそれぞれに生産農家を抱えていては、生産と加工との調整、そして消費する側との調整が困難になります。産直運動を継続発展させるためには、個々の産直グループで規格基準をつくるのではなく、そこに参加す
る生産農家全体で原料梅などの農作物の栽培方法を統一することが必要でした」
したがって王隠堂農園に所属する生産農家も、他のグループの生産農家も、すべてこの協議会の生産部会に入って活動している。現在10部会総勢約250名の大きな組織である。
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ちなみに梅ぼしの原料梅は、梅部会に参加する100名が、原料しそは、しそ部会の35名が栽培している。
生産農家は、毎年作付計画表の事前提出が求められ、実際の農薬の使用や施肥などの記録は、作業管理台帳に記入して収穫終了後に提出することになっている。さらに収穫直前には使用農薬調査表の提出などが義務付けられている。
「消費者の皆さんに全部の畑を公開できますが、一つでも記録と異なっていた場合、全部の畑に不信感を持たれてしまいます。したがって個々の農家の自発的な管理だけに件せるわけにはいきません。徹底した管理が必要です」(王隠堂さん)
このように王隠堂農園の梅ぼしは二つの共同組織によって生産・加工されているが、将来の見通しについて王隠堂さんはこのように語る。
「私たちは、農作物の生産から加工そして販売まですべて共同で行っていることに誇りを持っています。しかし、今のままでこの地域の農業を次世代に残せるかどうかは分かりません。残すためには栽培管理の情報システム化は避けて通れません。また、産直以外に何ができるのか。例えば消費者が直接生産に携わる 『ふるさと農園』の設立など、この地域の持つ機能を見直すことも必要です。耕作放棄で農地が余りつつあります。それら農地を再編整備すれば、若い人も年寄りも、そして新鋭営農者も含めて新しい農業ができるかも知れません」 |
原料梅の栽培基準 |
梅の栽培は、有機栽培、特別栽培、産直基準による栽培の三つに分類される。基本的に慣行栽培はない。
有機栽培は、国の規格基準の有機JASで栽培されたもの。現在20名がこの基準で梅を栽培している。「2000年に有機JAS制度ができた時、みんなで有機農産物の生産工程管理者の認定を受けて始めました」(王隠堂さん)
特別栽培は奈良県がつくったもので、慣行栽培の半分以下の農薬使用などが定められている。産直基準による栽培は、取引先との話し合いに基づいてつくられたものだが、農薬やその使用回数が制限されるなど、特別栽培と同等の水準だ。
いずれの栽培も除草剤は使用禁止。肥料についても、パンドラフアァームで指定配合したオリジナルな肥料の使用が原則義務付けられている。
梅ぼし加工の特徴
原料晦は6月10日から7月15日の間に、各農家から専用コンテナで栽培方法別に入荷される。大きさなどの選果を行い、洗浄された後、サイズ別、引き取り先別に区分けされ、漬け込み槽に入れて塩蔵する。出来上がりは2力月先。その後注文に応じて随時取り出し、天日干しを行い、しそと一緒に1カ月半から2力月間責け込んで製品にする。
「私たちの最大の持徹は、すべての製品の行き先が決まっていることです。決まっているから原料悔やしその栽培方法、漬け込む塩の種類などによる区分管理が的確に行えるのです」((株)バンドラフアームの加工責任者の久保孝洋さん)
また赤い色付けを、しそで行っていることも大きな特徴だ。「最近はしそを入れた紀州の梅ぼしが見当たりません。国産のしそが手に入れ難いからです。梅が国産なのに、外国産のしそと表示するのがいやなのでしょう」(王隠堂さん) |
文/本誌・細井和男 撮影/尾崎三朗
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