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名人の域に達すると豚一頭の脱骨をわずか二十分で処理してしまう。その後の整形、小割りまで含めた処理時間はなんと五十分という早業である。
作業場内を案内しながら、井黒さんは、脱骨した骨の入ったバケツの前でふと足を止めた。
「ほら、骨に赤身の肉がこびりついている。これではまだ一人前じゃありません」 見ると、ほんのわずかの肉片が付着しているにすぎない。が、決して見逃すことはない。
整形部門のコーナーでは、社員が脂肪分を流れるように剥いでいく。するとわずかだが、白い部分に赤みが浮かんだ。
「あ、これではダメだ!」と、井黒さんはつぶやいた。
解体処理にはナイフの切れ味が仕事の能力を大きく左右する。
「一人ひとりが自分の砥石を持ち、常にナイフを研いでいます。切れ味のいい状態に保つのも技術のひとつです。研ぎ方が上手な人間の砥石は真横から見ても平になっている。逆に内側が減っていたり、曲がったりしていたら解体もうまくはないですね」
まさに板前同様の職人気質が要求されるのだ。
井黒さんが平田牧場に入社したのは一九六八年。二十二歳の時である。師匠はその道の“名人”と呼ばれた金内四郎さん。その人となりについて池田誠平専務はこう語る。
「根っからの職人気質で、聞いても何も教えないんですよ。それこそ“盗んで覚えろ”というわけですね。それでいて気に食わないことがあると、ナイフを振り上げて烈火のごとく怒る。しかし、肉をさばくスピード、ムダのないまるで流れるような、なめらかな包丁さばきは天下一品でしたね」
井黒さんは当初、砥石の研ぎ方を半年かけて学び、続いて豚の頭だけをひたすら解体させられた。まともな肉を触らせてもらえたのは一年後。
「何も教えてもらえないんですが、ちょっとでも切り方がおかしいと、細長い鉄棒で手をしたたか叩かれたこともありましたよ」と、井黒さんは苦笑する。
しかも、当時は軍手やプロテクターもしない。素手でさばくのが普通だった。
ナイフで手を切るのもしょっちゅう。井黒さんの手の切り傷の数は半端ではない。
最初に切ったときは血が止まらないほどだったというが、師匠はそれを見て、「おう、手を切ったら一人前だ。舐めればすぐ治る」というなり、平然と作業に戻ったという。
「見様見真似で体に染みついてくる」
「『はやぐやれ! きれいにやれ』とだけしかいわれなかった。それでも見様見真似でやっているとだんだん体に染みついてくるんですね。そうなると解体はおもしろかった。当時は冷蔵庫の中の作業さえ汗をかきながらやったものですよ」
解体を担当する現在の社員の平均年齢は二十八歳。中には耳にピアスをした若者もいる。
「今の若い人は昔と違いますし、一人ひとりの性格を掴むのに一年はかかりますよ」と、今は豚の解体とは違う苦労も背負っている。
解体は低温下で立ちっぱなしの仕事だけに決して楽なものではないが、去年から女性が二人配属になった。
「一人は国立大学の教育学部卒、もう一人は農獣医学部の卒業です。自ら志願してこの職場を選んだのです。二年目になりますが、がんばってますね。男も負けてはいられません。
「それでは私もやって見ましょう」
そういって、井黒さんは枝肉からモモ肉を切り落とし、脱骨にとりかかった。もちろん素手である。巧みなナイフさばきでアバラ骨からきれいに肉を切り離す。
「骨と肉をうまく切り離すには0.01ミリ?の薄い骨膜にナイフを差し込むんですが、これも勘が頼りの仕事です」
手際よく、すばやい動きで関骨、大腿骨、尾骨を肉片のかけらもなくきれいに取り出していく。
「はやぐやれ! きれいにやれ! です」
笑顔を向けた井黒さんの額にはキラリと玉の汗が光った。
フリーライター・溝上憲文
写真・坂 昌道
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